前々回にイントロダクションとして統合失調症の症状の分類を網羅し、それを具体的な流れで前回「思路障害」と「自我障害」をキーワードに症状の推移を解説してきました。今回は、最終回として現在の治療や今後の課題について説明していきます。
症状の進行は月単位
次に気をつけるべきポイントは時間軸すなわち、症状進行のスピードです。
「自我障害」のおはなしにおいて、これまでは、あたかも丸の形をした自我境界が、次の日突然に点線になって穴だらけになるような表現をしてきましたが、実際は、非常にゆっくりと、月単位で最初は進行していきます。
統合失調症陰性症状から発症すると前回書きましたが、この初期の段階は、まだそれほど自我の境界線に穴が空くほどではなく傷がつく程度で済んでいますので、健康な精神活動を行っている方々も多少同様の経験はしているかもしれません。すなわち、人間は皆ストレスという名の下で生活を営んでいるため、自我の境界線に傷がつくことはどんな人でもしょっちゅうあると考えてもいいかと思います。
では、なぜそのような状態でも健康な精神活動を行っている方は傷が穴になり、穴が増えて点線になり、ということを防ぐことができるのでしょうか?
これには2つの考え方があります。
1つ重要なのは睡眠と言われています。
睡眠は人間が毎日必ず行っている生命を営むために必要不可欠の活動の1つです。まだまだわかっていないことも多いのですが、
日々受ける自我の境界線の傷を修復している可能性があります。
「睡眠をとって疲れをとる」というのは、すなわちこの境界線の傷を修復している作業にほかなりません。
2つめは、そもそも統合失調症の方は境界線が非常に薄く、傷がつきやすく、また穴が空きやすい可能性があるということです。その境界線の薄さ故に、周囲の環境からの刺激にそもそも影響されやすいということもあるかもしれません。
やや非科学的にはなりますが、この辺は、前回の「純粋さ」とも関係しているのかもしれません。
健康な精神活動を行っている方がコンクリートのような頑強な境界線であるのに対し、統合失調症の方ではそれが、卵の殻のようにもろい可能性があります。実際は、金魚すくいのように最初の何匹かはすくえるぐらいの強度を持っているとイメージされると良いかもしれません。
その強度で、あたかもダムの決壊のように、いったん水が漏れるとその後は急速に症状が展開していきます。
自我障害は、丸の輪郭の点線のようにはっきりと自分の境界線に穴が開くまではある程度時間がかかることが知られています。
すなわち、陰性症状から発症すると言われているけれども、その時期は睡眠が比較的まだ保たれていたり、疲労しやすさを自認して、ストレスから遠ざかる生活を送るようにするため、急激な発症を最初は抑えられているのかもしれません。
また、周囲が保護的な環境であれば、支えてくれる家族や理解のある友人らに助けられて、やはりストレスの軽減につながっているから、傷がつくスピードを遅らせることができているとも考えることができます。
いずれにしても、陰性症状のみの発症時点で医療機関にかかる方がまず少ないということと、先程書いたように受診しても統合失調症と診断されるのは難しいこともあって、陰性症状の段階でどの程度症状進行を防げているのかは、わかりません。
重要な点は、臨床上で「統合失調症の発症」としている起点はほとんど常にその後に訪れる陽性症状の出現を指しているということです。これは、陽性症状が誰から見ても緊急事態であることが明らかで、目立つ症状だからということにほかなりません。
医療機関に結びつくのも圧倒的にこの時期になってから、というのもうなずけるでしょう。
余談にはなりますが、陽性症状の代表である、幻覚妄想には各人に「テーマ」があることを、「自我障害」のおはなしで解説していますので、あわせてご覧いただくとより理解が深まるでしょう。
統合失調症の本質は陰性症状
以上、統合失調症の症状を本人の視点でまとめてみました。
いかに患者さんが大変な思いをされて通院や入院になるかが想像つくようになったでしょうか。
また、患者さんとの距離のとり方については、
- 本人がどの程度症状に左右されているか
- どの程度治療が施されているか、あるいはされていないか
によって医療従事者が本人に与える刺激をできる限り最小限にすることが求められます。すなわち患者さん本人にとって、刺激が「インプット」されてしまうことによる弊害を常に意識する必要があるわけです。
臨床の経験をある程度積んでくると、医療従事者が患者さんの擬似的な自我境界となって、患者さんを守る「壁」の役割を担い、ぼろぼろになった本人の自我境界の代わりに刺激から守ることもできるようになるでしょう。
特に発症したての頃や、入院せざるを得ないようなレベルの急性期のときは、患者さんにとってすべてが予想以上に大きな侵襲を伴った刺激ですので、光や音の大きさ、声のトーンや接する距離にも気を払いながら、診療や介入をすることが大事になってきます。
現在の精神科医療で主に行われている統合失調症の治療というのは、主に陽性症状の治療です。抗精神病薬での治療は幻覚妄想に対する治療であり、睡眠を強化したり、衝動コントロールを改善したりといった補助的な治療もここには含まれていますが、あくまでも自分に向かったり自分以外に向かってしまうほどの切迫した陽性症状は、先程も説明したように目立つ症状ですので、どうしても治療の焦点として注目が集まりがちです。
しかし、実は統合失調症に対して我々が本当の意味で立ち向かわなければ行けないのは、実は認知症状を含む陰性症状なのです。
ブロイラーの基本症状4Aを思い出してください。
4Aはうまく統合失調症の症状を網羅していると述べましたが、このうち、陽性症状に直結するのはAssociationのみであり、残りの3つのAについては陰性症状を指しています。Affection(感情)、Ambivalence(意志)、Autism(社会性)はいずれももともと本人が有していた水準よりも乏しくなることを指しており、これらに対する有効な治療法は見つかっていません。
現行では社会性の向上を目的としたリハビリや、精神保健福祉士を筆頭とした社会的サポートによって、生活の水準や症状の悪化予防を行っており、これについては陰性症状の改善に一役買っています。
陰性症状と陽性症状はちょうど秋の落葉に似ています。陰性症状という地面に舞い降りては積もっていく落ち葉が陽性症状で、治療によって落ち葉が取り払われると、地面が露出するようになる、といった具合です。急性期を脱した患者さんは、「病み上がり」のような激しい倦怠感や抑うつ、疲れやすさを経験します。その延長線上で、「思い通りに心と体が連携しない」ことによる悲壮感やネガティブな感情を抱くことが典型的です。さらに、感情が鈍麻したり、物理的な動作も緩慢になり、こうした変化が患者さんを苦しめます。これが陰性症状です。
秋の落葉では、どうしても落ち葉に気が取られがちなのですが、治療により陽性症状という名の落ち葉を取り払いつつ、またこれ以上の落葉を防止するということ以上に重要なのが、その後に露出した陰性症状という名の地面に対するケアであり、今後の治療課題はこの地面にも介入できるアプローチが必要とされているわけです。