伝統的診断:「うつ」を例に
まだ精神疾患そのものの原因が全く明らかでなかった頃、同じ精神症状であっても、様々な背景があったことは知られていました。昔はそれを3つのグループに分けていました。
「うつ」を例にとってみましょう。
その背景には、
- ストレスとなった原因がはっきりわかっていて「わからなくもない理由」があるグループ
- 脳梗塞といった身体疾患等が明らかに作用しているグループ
- 因果関係がまったく見当つかず、脈絡なく発症しているグループ
です。昔、1.と2.はそれぞれ心因、外因と呼ばれていました。
1.心因というのは、「状況反応的な心理的要因で」という意味で、おそらく皆さんにもイメージしやすいと思います。現代のクリニックにいらっしゃる多くの方はこの心因に該当しています。
2.外因というのは、「こころ以外の原因で」という意味です。実際は「こころ」は「脳の中」を指しており、外因は厳密には「脳の外からの要因で」という意味になります。わかりやすいのは、覚醒剤やアルコールで一部の方に生じる「幻覚」です。この場合、幻覚は自分が作り出した症状ではなく、外からドラッグやアルコールという「物質」を投与したことが原因ですので、「外因」になるわけです。
同じように、自分の中であっても例えば脳梗塞や重篤な感染症、電解質異常などで精神症状が出現する場合があり、これも「外因」に含まれます。うつのような気分症状もあれば、先程の幻覚のような精神病症状が出る場合もあり非常に多彩ですが、どれも原因ははっきりしています。
以上、この心因と外因はイメージしやすいと思います。
では3.はどこに分類すればいいでしょうか?
まったく心理的な要因がみあたらず、特に大きな病気や手術もしておらず、もちろんドラッグも使ったことがなく…
…でも精神症状は明らかにあります。
このようなグループを「おそらく脳の中になにか因子が隠されていて起こっているのだろう」と推測し、「内因」と呼ぶに至りました。
ちょうど、2.が外因なのでその対をなす概念と理解いただければいいと思います。
外因が原因のわかっている精神症状で、内因は原因が(まだ)わかっていないけれど、明らかに「外」の原因がないので「内になにか潜んでいそうだ」と解釈するとよいでしょう。
この3つのグループ分けは、昔から使われてきたため「伝統的診断」と呼ばれています。
伝統的診断はどんな時に役に立つか、というと、治療方針の見通しをつける時です。
上の例で説明すると、1.心因の方は心理的なプロセスが主でうつに至っていますので、その発症後まもない段階であれば文字通り心理療法(=学術的に効果が認められたカウンセリング)だけで十分に効果があるでしょう。うつという自覚が生じるより前の「悩み」の段階であれば、いわゆる傾聴相手やリフレッシュできるもの(運動や趣味)があればそれで事足りることもあります。
もっとも、未受診率の高さのコラムでも書きましたが、多くの方はある程度うつが目立ち生活にも支障を来してくる数ヶ月以上たってから医療機関に受診される方が多いので、エネルギーレベルも通常より低下していることが多いです。(エネルギーレベルについては、「うつ」のおはなしを参照ください。)
ですので、場合によっては集中的に療養が必要になったり、お薬を強化することが必要になることもあります。
一方、3.の内因については、エネルギーレベルも状況に見合わず著しく低下しており、想像し難い自責の念や自殺の考えに支配されることもあります。
薬物療法も補助的ではなく本格的に用いられ、自殺したい気持ちが抑えられない方によっては治療強化目的で入院が必要となることもあります。
伝統的診断では1.の心因の方は心因の範疇にとどまるとされており、これを強調するためにあえてうつ「病」ではなく、うつ「状態」とか、「心因性うつ状態(または心因性うつ病)」と表記する医師もおられます。要は、心因は真のうつ病ではなく、3.の内因性が「うつ病」なのだ、というわけです。これは、現代で言うところの「狭義のうつ病」に合致しています。
ここで疑問が生じます。1.の心因と3.の内因はどうやって分けるのでしょうか?
2.の外因については原因がハッキリとしていますので、例えばアルコールやドラッグであれば、使用をやめればいい(そうそう簡単には行きませんが)ですし、脳梗塞であればその治療が優先されます。感染症や電解質異常であればそれらの治療によって精神症状も治ります。
対して、1.の心因と3.の内因は、外因にあるような化学反応や物質の相互作用といった科学的な原因がはっきりしているわけではありません。そういう意味ではは、厳密には心因も内因の1つであると言えます。また、内因のうち、心理的な因果関係がはっきりしているものを内因から切り離して心因と表現する、と考えてもいいかもしれません。
心理学において、思考や心理的相互作用が気分や行動に関係するメカニズムは科学的に裏付けられていても、「心理療法がどのような化学反応によって作用し、気分の改善などの変化に至るのか」ということについてはまだわかっていないわけです。
というわけで、先程の疑問に答えるならば、1.の心因と3.の内因を分けているのは、上でも述べたように、
- 発症までの経緯が「わからなくもない」のか
- 現在の症状の程度が「状況に見合ったもの」なのか
という2点が慎重に検討されているといえます。
専門的には、上記の2点を総合して「了解可能か」どうかと表現されることがあります。
心因と内因は、「了解可能」かどうかで分けていると言えるでしょう。
この2点が明確な方は別として、やはり黒か白かで分けることが難しいケースも出てくるため、精神科医によって意見が分かれうる可能性があるという意味で伝統的診断の限界はここにあると言えます。
見ているものが違う
そうは言っても本質的には心因と内因は決定的な違いがあることも事実です。
精神疾患を否定的に考える方の中には「うつは社会がつくった架空の病気だ」と批判されることがあると思います。こうした極端な考えには半分正しいところと半分間違っているところがあるのが常なのですが、こういった議論はそもそも上で言うところの「心因」の方々に対して投げかけられるものであり、外因の方や明確に分類できる内因の方には当てはまりません。そういう意味で半分半分です。
ではその「半分」の心因の方々に対するこの批判を吟味してみることにしてみましょう。
心因の方々で特に環境への順応がうまくいかなく、それで気分の落ち込みや意欲の低下を認める方がいます。これを環境側の因子と取ると
「社会がつくったうつ」
になりますし、本人側の因子と取ると
「本人が抱えるうつ」
となるわけです。
環境側の因子というのは、本人を取り巻く環境が本人にとってとても圧倒的でストレスフル過ぎて発症した、とみる場合です。
本人側の因子というのは、本人がストレスに対して不慣れであるとか、対処方法がわからないために発症した、とみる場合です。
いずれも「どちら側からみるか」の議論ですのでこれは必ず平行線になるばかりか、片側からしか見ていないともう片方に橋をかけることはできません。
もう一つ大事なポイントがあります。「社会がつくった」という表現には大なり小なり「社会のせいで」という考えが含まれています。「自分には非はなく、環境のせいでうつになった」というような考え方を「他罰的」というのですが、この他人を恨んだり攻撃的になったりして「腹いせ」になっている言動は、これから説明する内因の方にはまず起こりません。
真のうつ病は「自責」がテーマ
うつの重篤な症状に自殺念慮がありますが、本来はこれは自責の表現方法としての症状です。「自分が全ていけないんです」「周囲に迷惑をかけている」と感じるのがその前症状であり、その延長線上に死んで償おうとしてしまうわけです。
「周囲に迷惑をかけているなんて、そんなことないよ」と近しい人が何度も時間をかけて説得を試みますが、症状ですので全く手応えがありません。
なぜ周囲に迷惑をかけていると考えているのか、というと、これはその前段階で生じるエネルギーレベルの著しい低下により、「自分がやらなければいけないことが思うようにできない」という葛藤が関係しています。
この点も大変重要です。「うつ」のおはなしでも書いたように、家族は寝込んでいる本人をみて「やる気がない」とか「寝込んでるともっとふさぎ込んでしまう」と考えて外に連れ出したりする方もいらっしゃるのですが、「やる気がない」のではなく、むしろ「あれもこれもやらなければならない」と気持ちが先走っていらっしゃることがほとんどです。そういう意味では意欲は低下しておらずむしろ高まっているとも言えます。しかし、その意欲を駆動させるだけのエネルギーがありませんので、このギャップが本人を「自分は何もできやしない」「周囲に迷惑をかけている」という方向に持っていくのです。
治療に適した枠組みを考える
精神科の治療というのは、全体像がよくわからず、様々な憶測や偏見が生じやすい分野でもあります。その背景を考えてみると、上に挙げた議論のように、質の異なる疾患や症状が同じ名前で混在しているからなのかもしれません。
例えば、上にも述べたように内因性うつ病(=狭義のうつ病)の患者さんに、カウンセリングや傾聴だけでは効くことは決してありませんし、心因性うつ状態の患者さんに薬物療法を本格的な治療内容として導入することはオーバーなやり方ということが言えます。しかし、この区別は残念ながら一般の方々の目にはつきにくく、「薬なしで治る」とか「薬漬けにされる」というような極端な議論が生まれてしまうのだと思います。心因と内因はこれまでの説明でおわかりいただけると思いますが、その症状の質が異なっているので、治療の枠組みも異なったものにする必要があります。そのミスマッチが起こったごくごく少数を大きく取り上げてあたかも一般論のように繰り広げられてしまうのでしょう。この傾向は精神科医療だけにとどまらず、あらゆる業界の「ブラックボックス」にあてはまりそうです。
例えば精神病症状のコラムでも説明しましたが、周囲から命を狙われていると感じている人に、人混みの多いオフィスでカウンセリングを施しても大きな改善は望めないのは理解できると思います。では、どうしたらいいのか?まずは、本人が安全安心と感じられる所を確保して差し上げることです。実際、本人はすでにこのような状況下では自室にこもったり窓に目張りをして「敵」からの侵入を防いだり対策を講じていることもあります。こうした引きこもりの生活が長く続くかどうかは、症状の進行の度合いと周囲の理解や支えによりますが、あまり長くは続かないでしょう。症状が悪化していよいよ自分の部屋にもいられないほど恐怖や不安に駆られるようになると、錯乱して外に飛び出したりしてしまうこともあります。こういった場合は入院して治療をする他ありません。入院の前に警察に保護されることもあります。では、通常の入院環境を用意すればよいかというと、本人にとっては隣の部屋からの音にも敏感ですし、窓からの光やエアコンの音など、あらゆる感覚が研ぎ澄まされて「臨戦態勢」になっていますので危険と感じて安心は得られないでしょう。もっとも、病室に鍵をかけることができて窓に目張りがある部屋なら別ですができませんよね。
精神科の病院の急性期病棟には、このような急性期の方に向けた特別な「保護室」という部屋が用意されています。本人のオリエンテーションがついていない時期では、本人が自分で安全な環境を確保することができないため、防音等の「ハードウェア」がしっかり整った部屋が用意されています。さすがに窓に目張りはできませんが、調光も明るすぎないように配慮されています。精神病症状によって苛まれ感覚が研ぎ澄まされていたり、躁状態のように些細な刺激でも病状を悪化させるような場合や、自殺念慮が著しく切迫している方などは、この保護室が本人を文字通り「保護」する役割をしますので、大変有効な治療の枠組みになります。
しかし、「心因」の方がこの保護室を使うことはまずありません。そもそも心因の方々は入院が必要になっても自分が希望して入る自発的な入院が大前提ですから、オリエンテーションはついているはずです。なので、保護室は内因性の疾患で用いられるものと考えてよいでしょう。なぜかというと、症状が悪化すれば悪化するほど周囲との意見が合わなくなるのが、内因の精神疾患における精神病症状や躁症状、うつ症状だからです。ですから、こちら側から本人を保護室というハードウェアと、治療介入というソフトウェアを駆使して保護して差し上げないと、本人が自分の身の安全を守れないばかりか、周囲への影響が甚大なものとなり回復後の本人の尊厳や社会性を著しく損ねてしまう可能性が大きいからです。
うつ症状も狭義のうつ病では自責感に対して「そんなことないよ」という周囲との意見が合わなくなってくる、自殺の考えが止まらず周囲に制止されても自殺企図を止めることができなくなるという意味で、「意見が合わなくなる」ことは精神病症状や躁症状と同様と言えます。
なお、内因外因とは別の分類方法にはなりますが、「神経症圏」の方の中には稀に保護室が必要なほど症状が切迫することもあります。神経症圏の方の入院は、状況反応的に急激な症状の悪化を来していることが多く、オリエンテーションはある程度ついていることもあるので、保護室での治療環境が適するかどうかは、慎重に検討されます。一般的には警察等にすでに「保護」され、その後の治療環境でも「保護」が必要なほど症状が激越だったり切迫していた場合に判断されることがほとんどですので、保護室にて「クールダウン」が必要だと判断された、と考えることができます。もちろん、クールダウンが終わった段階で一般的な病室に移動となるでしょう。
先程、心因と内因というのは「質」が異なると書いたのはある理由があります。それは心因は内因の軽症ということではないということです。心因と内因は「程度」が異なるのではなく、「質」が異なるのです。これは、うつを例に取ると、上記のような自責的な言動が症状として噴出している時など、症状が重篤化すると違いが歴然としてきます。この質の異なりを「連続性の断絶」と表現する先生もおられます。これについては、別の機会に取り上げたいと思います。
精神病症状は外因か内因のみ
今度は精神病症状を例に挙げてみましょう。精神病症状は心理的な葛藤だけが原因で生じることはありませんので、心因は存在しないことは想像しやすいと思います。かなり話が長くなりましたが、内因と外因というのは、本来こうした明らかな精神疾患の症状を指して分類されてきたものです。これが「伝統的」診断の所以でもあります。
以上、長々と解説してきましたが、「こころの問題」を考える時私たちが議論しているのは、「心因」の人々のことなのか、「内因」の人々のことなのかを常に意識しないと、両者がごっちゃになってしまいかねません。しかし、残念ながら一般的にはこの区別をつけることは難しく、どうしても混線してしまっています。少なくとも我々医療従事者が患者さんに的確な判別を行い、その患者さんに適した治療の枠組みを設定することが求められるのは言うまでもありません。
特に患者さんのオリエンテーションがつかず非自発的な入院になる場合は、人権にも関わるため、複数の精神科医が入院を判定したり家族の同意を得たりと、様々にその整合性が担保されていることも事実ですが、我々メンタルヘルスの専門家としては常にミスマッチを防止するための努力が必要とされます。