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「こころの問題」の幅広さ -続編-

はじめに

前回の「こころの問題」の幅広さに関する記事の反響が大きかったようで、特に看護師さんやケースワーカーさんからの「治療の枠組みについて理解ができました」という声を多くいただきました。さらに、「神経症圏や他の診断方法についても詳しく知りたい」というフィードバックに応じて、「続編」としてこのコラムを書きたいと思います。(前回の巻末にもリンクを貼っておきました)
また、最後にメンタルヘルスにおける二次予防の重要性を強調して締めくくりたいと思います。

精神疾患と診断の歴史

精神医学の歴史はとても古いもので、古代からてんかんや精神病症状に関する記載が記録として残っています。現代における「精神疾患」にはこうした古くから人々の記録に留まっていた疾患に加え、ここ100年前後で発展してきた「神経症」とされる疾患の数々も含まれるようになっています。そして、「診断と統計マニュアル」や「疾患分類」の概念がここに参入し、刷新を繰り返しながら現在に至る、という流れになっています。

…と言葉で説明してもわかりにくいと思うのですが、精神疾患の現役の診断学として、
病因を考慮する伝統的診断と、症状と時間を考慮する操作的診断の2つがある、という風に捉えていただければと思います。

順番に説明をしていきましょう。

神経症圏と精神病圏

精神医学の歴史においては、伝統的に「内因、外因、心因」という3つの病因に基づいた分類がなされてきました。これは現在でも用いられており、特に実臨床では治療の枠組みを設定する上で重要な指標となっていることを前回のコラムで説明いたしました。

また、100年ほど前、かの有名なフロイトが「神経症」とその対としての「精神病」という概念を確立します。フロイトは「精神分析学」という学問を切り拓いたのはご存知だと思います。フロイトは、精神分析の対象として患者を2つに分け、適応となるのは神経症圏であり、精神病圏と区別する必要があると考えました。

「内因、外因、心因」と「神経症圏、精神病圏」をリンクさせるならば、内因が精神病圏で心因が神経症圏にほぼ一致するでしょう。外因は身体疾患やアルコールや覚醒剤などの物質使用によるものとリンクしますので、精神病圏でも神経症圏でもなく、器質性精神病とかアルコール性精神病という名前がそれぞれ充てがわれることになります。

操作的診断の登場

この流れが大きく変わったのは1980年です。アメリカ精神医学会が、症状と時間経過という、より客観的な指標を用いる「操作的診断」という概念を確立させ、現在の精神疾患診断の主流をつくりました。

この操作的診断においては、症状と時間で病名が決まってしまうので、前回詳しく説明したような心因性のうつ状態も、内因性のうつ病もいずれも「うつ病」と診断される可能性があります。先程申し上げたように、実際は心因なのか内因なのかで治療の程度や枠組みを臨機応変に適用させているのですが、統計学上は同じものとして扱われてしまう可能性をはらんでいるわけです。それでも、精神疾患を共通言語として、しかもユーザビリティに配慮して考案されたこの診断方法は有用な側面も多く、現在はこれを超える診断方法はまだ確立されていません。

分類をもっと平たく

さて、これまでの説明は大変ややこしくとっつきにくいと感じられる方も多いと思うので、一般的な説明を最後にしておきましょう。
メンタルヘルスを語る際には、健康度の高い順に

健康>健康的な不健康>病的な不健康>病的な病気

と、健康を含めると4つに分けて考えるといいと思います。

病的な病気というのが、厳密には精神病圏であり、内因性の精神疾患にあたります。
神経症圏は、健康的な不健康と病的な不健康を行き来しているものと考えるといいかと思います。

健康な方が状況反応的に陥る「健康的な不健康」も、心因と言えば心因になりますが、これは「健康的」ですので、医療の対象にはなりません。

この「健康的な不健康」か「病的な不健康か」というのがなかなか判別しにくく、自分自身ではわかりにくいのと、やはり専門家の判断を仰ぐ方がよいエリアということになります。

健康からみるか病気からみるか

医療従事者は「病気」の見地から患者さんをみています。医師であれば「診る」、看護師であれば「看る」と漢字が充てがわれ、いずれもそれぞれ意味合いは異なりますがいずれも「病気」の視点からみていることを指しています。

一方、人々は「健康」の見地から物事を捉えています。健康であることが損なわれると、健康に戻るための対策を講じるわけです。

同じ状態をみていても、どちら側からみているかで随分と異なった考え方になります。
例えば「患者」というのは、病気の側からみた場合の医療従事者側が使う用語ですし、医師や看護師の「師」や「先生」というのは、健康の側からみた場合の「(病についての)エキスパート」に敬意を表した用語です。

「健康」から「病気」を学ぶ

最初は医療従事者も学校では「健康」から学び、そして「病気」を知るという順番になっています。
医学生であれば6年間の大学教育のうち、前半は人体についてマクロとミクロの見地で「健康」を学びます。前者が解剖学、後者が組織学です。また、ミクロとマクロが織り成す相互作用について生化学や生理学で学んでいきます。後半学年になるとこれらの知識を踏まえて病理学や臨床医学で「病気」を学びます。最終的には臨床実習でこれらを経験し知識と体験がひとつにまとめ上げられていきます。
このようにして、徐々に「健康」から「病気」にシフトしていくわけです。

大学を卒業して医師や看護師になった後は、実際に「患者」さんをケアしたり治療したりすることが始まり、いよいよ「病気」の側しか学ばなくなっていきます。専門職として研鑽を積めば積むほど、「健康」ではなく「病気」からの見方になっていくわけです。

Half-full/Half-emptyと予防医学

これらを例えるのに、コップの中に入った半分の水のおはなしを挙げてみます。
コップに水が半分だけ入っていることを、皆さんはどのように捉えますか?

人によっては「半分しかない」と表現するでしょう。
またある人は「半分もある」と表現する可能性もあります。
これを英語では、前者はhalf-empty、後者はhalf-fullというように呼びます。

もうご存知の方は、このおはなしはhalf-emptyはネガティブな見方、half-fullはポジティブな見方で「同じ状況でも視点の違いで思考や行動も変わるものだよ」という「オチ」で締められるのですが、今回はちょっとひねりを利かせ、半分の水を「健康」と「病気」の視点から考えてみることにします。

健康は水が増えること、病気は水が減ることとして例えることができるでしょう。

ここで水を満タンに維持する方法を考えてみましょう。
方法としては2つあり、

  1. 水が増える要因を強化する
  2. 水が減る要因を解消していく

の2つのアプローチがありますよね。

これを「健康」と「病気」に置き換えると、

  1. 健康を促進する要因を強化する
  2. 病気の要因に対して介入を試みる

という考え方になります。

ざっくり申し上げると、1)が予防的観点、2)が治療的観点です。
同じ「水を増やす」ことに対して異なった考え方をしているわけです。

我々医療従事者は経験を積めば積むほどとかく「水を減らしている要因をしらみつぶしにしていく」という考え方になりがちですが、水を増やす要因にスポットライトを当てる考え方もそれ以上に大事であるということを認識すると、視野が広がるでしょう。

1)のような考え方をsalutogenesisと呼んでいます。
“Salut-“と”-genesis”から成っており、salutはラテン語で「健康」という意味です。
ラテン語圏であるフランス語やスペイン語などを勉強された方にはおなじみの「乾杯!」としても使われています。
genesisは「起源」という意味で、salutogenesisは、健康をつくる源、つまり健康の要因ということになります。

そして2)のような考え方をpathogenesisと呼んでいます。
patho-はギリシャ語が語源で「苦しみや哀しみを引き出すもの」を意味し、悲痛とも訳されます。ここから派生して「病」の状態を指すようになりました。上述した医学生におなじみの「病理学」はpathologyと言います。-logyは学問のことです。

医療従事者は専門職として常にpathogenesisを意識していますが、多くの方々はsalutogenesisを意識して日々生活しています。

不健康か病的か

「健康的な不健康」と「病的な不健康か」のエリアについては、自分自身ではバイアスが入りますので、必ず「健康的」と解釈して「病的」になるのを結果的には助長してしまうことになります。一方、専門家の判断は病的な方に傾いているというのがそれ自体バイアスなのですが、専門家と患者さんが顔を合わせてこうした見方をすり合わせることによって、専門家がどちらの判断を下したにせよ、患者さんはsalutogenesisの観点で予防策をより取り入れ、医療従事者はpathogenesisの観点でアプローチすることで「病的な不健康」エリアにこれ以上進むのを防止するという意味で二重の良い効果が望めます。
早期発見早期介入という二次予防がメンタルヘルスに有用なのはこのためです。

しかし、未受診の大きさのコラムでも書いたように、残念ながら、まだまだ二次予防が十分に確立されている状況とは言えません。今後のメンタルヘルスの重要課題と言えます。

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