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「自我障害」のおはなし vol.1/3

はじめに

「妄想」をはじめとした精神病症状については、こちらの記事に詳しく解説しましたが、精神病症状と切っても切り離せない関係にあるのが、今回説明する「自我障害」です。自我障害は自分自身の存在がゆらぐという意味で、我々が考えつく限り最も恐怖を伴う体験であり、幻覚や妄想の固定化を加速させます。一方で、自我障害を理解すると、自分を守るための手段に妄想に入り浸ったり、妄想自体に個々人でテーマがあるという解釈ができるようになり、精神病症状にも理解が深まるでしょう。

自我:自分と他者の境界線

自我障害は文字通り、自我が障害されていることを言いますが、自我をここでは簡易的に「自分」に置き換えて図Aのように描いてしまいます。
ざっくりと丸の内側を自分、丸の外側を自分以外の他者や周囲の環境という風に捉えてもらえれば大丈夫です。

精神活動にはインプットとアウトプットがある

 

健康な精神活動というのは、図Bのようにあなたが自分の意志をもって、内向きの矢印と外向きの矢印の2方向を日々コントロールしていることを指します。内向きの矢印はインプット(入力)、外向きの矢印はアウトプット(出力)です。
今あなたがこの記事を読み、情報を頭の中に取り込み、内容を理解しようとする精神活動がまさにインプットです。他にも、他者の話を聞いたり、きれいな情景を見たり、草木のにおいを嗅いだり、五感を通じたあらゆる入力活動を指します。
反対に、考えをまとめて話したり、作業に取り組んだり、他者や環境にはたらきかけようとするものがアウトプットです。インプットとアウトプットがスムーズに行われるには、情報を適切に取り込み、自分の中で適切に処理し、それをさらに適切に言動等で表現することが必要です。普段から自然と何気なくやっていることから、エネルギーを投じて頑張ってやっていることまで、すべてこの2方向の精神活動が伴われています。これらが行われて初めて人間は生命活動や社会活動を営むことができます。

また逆に、インプットやアウトプットをしない選択をしていることもあります。例えば、たくさんの人混みの中で誰かと待ち合わせをしているとき、あなたはその人だけを見つけられるように、他の多くの人々や街の喧騒には気を払わないようにしてその人を探していると思います。
同様に、授業中に窓の外でバイクの音がしたり、廊下で雑談する人の声が聞こえても、注意を向けない限りは、(そして授業が面白い限りは)、授業に集中できると思います。また、オフィスのエアコンの音は確かに注意して聞いてみると聞こえますが、普段は全くと言っていいほど気にならないし、気にすることはないと思います。

これらは、あなたに向かってくる内向きの矢印は存在しているけれど、図Bの折れた矢印ように選択的に刺激をはねのけているからこそ成立しているわけです。選択的とはいっても、待ち合わせの時のような意識的なものもあれば、オフィスのエアコンのように無意識的なものもどちらも存在します。しかし、どちらも自分自身がこなしているという点では変わりありません。
アウトプットも同様です。あなたが話をするその内容は、口から出まかせではなく、その時の会話の趣旨に沿って、また話している相手によって、言葉を選んで話したり、敬語にしたりとたくさんの判断を意識的にも無意識的にも判断しているわけです。

このように、コントロールしながら選択的にインプットとアウトプットが行えるのは、実は自分と他者との境界線があってこそです。これを理解するために、次は、境界線が破れてしまった時のインプットとアウトプットの様子を想像してみたいと思います。なお、自分と他者の境界線を、自我境界と呼びます。

自我障害は、自分と他者との境界線がなくなる

図Cをご覧ください。丸の輪郭が点線になっていますね。このような自我境界では何が起こるでしょうか?先程のインプット、アウトプットの矢印がいずれもフィルターにかけられることなくすべて入ってきて、すべて出ていくような状況に陥ることに気がつくと思います。これが自我障害です。
そのような状況に陥ると、外からの刺激がすべて自分の中に入ってきますので、些細な物音や僅かな動きもはねのけることができなくなり、自分の中に入ってきます。自分の中に入ってくるということは、すなわち「自分に必要な情報だ」と認識されてしまうわけです。このため、全ての刺激が自分事としてキャッチされます。自我境界がしっかりしていれば、自分に必要のない刺激や関係のない刺激は意識的にでも無意識的にでもはねのけることができていましたが、今回はこれらがすべて自分の事として脳に処理されるようになる、ということになります。
自分が見るもの聞くものにかかわらず、ただそこにいるだけで、否が応でもすべての刺激が入ってくるというのは、大変な事態です。この驚異的な体験が本人に大きな不安を抱かせたり、ただならない危機感を抱かせるきっかけとなっていく、ということはこの説明だけでも容易に想像がつくと思います。

加えて、全ての刺激が入力されてしまい処理していくことになるので、激務を強いられます。それだけ脳を酷使することになりますので、非常に疲れやすく、元気がなくなって不安を感じやすくなったり、気分を維持することができずに落ち込んだり、エネルギー切れを起こして外に出ることがおっくうとなる場合もあります。この延長線上で死への気持ちが出てくる場合もあります。

刺激が意味をなしてくると、幻覚や妄想に

自我障害が顕著となってくると、例えば雑音や耳鳴りとしかキャッチされていなかった刺激もやがて意味を持った「幻聴」となったり、道ゆく人々の話し声や行動が自分のこととして処理されるために、自分事としての関連付けがさらに加速して「みんなこぞって自分の命を狙っている」などという「妄想」が形成されていくようになります。これは2つの仮説があります。1つ目は、人間は不可解な現象に対して説明を施して安心を得ようとする習性があり、刺激への意味付けを行う過程で意味のなかった刺激が意味のある刺激に変化していく、という説。それから自分の中に全ての刺激が入り込んでしまうため、脳における刺激の処理がオーバーヒートし、何らかの物質が過剰となって幻覚を形成している、という説です。いずれも仮説の域を超えてはいませんが、前者は妄想の形成に、後者は幻覚の形成に一役買っているということは間違いなさそうです。

また、アウトプットも自分でコントロールすることができませんので、自分の中のものが外に勝手に出てしまう、という風に考えるようになります。具体的には「自分の考えていることが奪われている、えぐり取られている」「自分の持っている情報が周りに知られてしまう」という風に解釈せざるをえなくなり、さらに進行していくと、「フェイスブックで全世界に自分の情報がリークされている」「盗聴、監視されている」となっていきます。

こうした幻覚や妄想がやがては本人をコントロールするようになり、主従関係が逆転していきます。こうなると、精神病症状の記事でも解説しましたが、アウトプットの破綻によって、思考をコントロールことができなくなり、連合弛緩から滅裂へ、インプットの破綻によって、自分への関連付けが加速して、念慮から妄想へとそれぞれ発展していきます。

これぐらいの切迫した状態になってくると、夜もおちおち寝られるような状況ではなくなるのは想像できると思います。自分が寝てしまったら、その間にまた大変なことが進行してしまい、自我境界の点線すらなくなって「自分」がなくなってしまうと考えざるを得ないのですから。この時点で本人の身体に備わった「非常警報」は24時間鳴りっぱなしの状態が続き、身体が休まることはありません。多くの方が不眠を呈するようになります。幻覚や妄想がピークを迎え、いよいよ自身だけでは自分の身の安全を確保できないと本人が感じる程切迫すると、数日以上全く寝られない日が続きます。まさに戦争中の兵士の如くです。いや、それ以上の極限状態かもしれません。

>自我障害をさらに深く理解する:次へ続く

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