前回は、人工知能が将来的に果たすメンタルヘルスの課題解決について概説しました。今回は、未来から逆算し、現時点でどのようなことが人工知能で可能になるのかを述べたいと思います。
一次予防は事実上困難
まずは、精神疾患の予防医学の話をします。
みなさんが毎年受けている「健診」は身体疾患の健康診断です。視力検査や身長体重計測、採血等を経て医師による聴診等がありますね。
仮に精神疾患にもこのような健診が行えたとして、みなさんは「こころの健診」を受診されるでしょうか?おそらく「何か見つかったらどうしよう」と過度の不安が募ってしまうのではないでしょうか?では、仮に本当に何か見つかった場合はどのような気持ちになるでしょうか?
こころの問題のスクリーニングにおけるボトルネックは、何かこころの異常が健診で見つかった場合、それを指摘されること自体が烙印を押されることにつながったり、指摘自体にメンタルヘルスを損ねる原因がはらんでしまうということです。
現在は身体疾患の健康診断と同様にこころの健診ができる方法が確立されていないので、この辺の議論が盛んに行われていませんが、仮に近い将来何らかの精神疾患診断指標が採血や簡易検査でわかるようになっても、最後までこの問題は残ることでしょう。
メンタルヘルス予防は三次→二次→一次
では、どのようにしたらいいか述べたいと思います。
身体疾患は一次予防から疾病予防を図り、二次予防で早期発見・早期介入を行って重症化を防ぎ、三次予防で再発防止に努めるという本来の予防医学的順番に則る「順行性」の予防形式が可能で、高血圧や糖尿病といった生活習慣病などは、順調にこのステップを踏み始めています。予防医学の三次構造については、こちらに詳しく解説しています。
一方、精神疾患においては、現在主流として取り組まれている三次予防から、まずは早期発見・早期介入の二次予防の確立を目指すのが自然な流れでしょう。そういう意味では、「逆行性」の予防形式であるとも言えます。
この二次予防の確立がなされて初めて(発症の因子がある程度明らかになることが予想され)一次予防が実現に近づきます。もちろん、この二次予防もそう簡単に確立できるものではなく、ストレスチェックという一次予防についても大きな社会課題を抱えてはいるのですが。
上に述べたように一次予防が様々な理由で事実上困難ですから、今のところは「発症直後」のエリアに重点を置くことが先決と言えます。
これを裏付けるように、前回の記事でも述べましたが、精神症状経験者の50%強ほどの方が受診の意向はあるのに受診できておらず、「発症直後」の二次予防的受診につながっていない現実と社会的課題としては共通してきます。
精神疾患診断は帰納的
最後に、なぜここまでメンタルヘルス領域で人工知能の期待が高まっているかと言うと、精神疾患の診断方法の「帰納的側面」との親和性が高いからです。
帰納というのは、個々の事例から一般解を見つける方法であり、症例経験を重ねて自分なりの「疾患分類」を構築していく精神科的アプローチがまさにこれにあたります。これに対して、主に発症の原因が明らかでそれを確かめるための検査方法が確立している身体疾患の診断においては、症例経験から自分なりの疾患の目星をつけるところまでは同じですが、それが真かどうかの「答え合わせ」がその後の検査等を通じて可能なわけです。
この答え合わせというのが、演繹的アプローチです。演繹というのは、病因が確固たるものとして証明されていることが大前提なので、これは精神疾患の場合には当てはめることができません。
これは病因がわからない以上どうしようもないので、病因を突き止める研究を少しでも行いやすくするために、疾患を診断基準で定義し、「似た者同士」を極力多く集めて診断基準で定義した疾患の均一化を図り、その疾患の病因や治療法といった研究対象の質を高めているわけです。疾患の解明をしようにも、疾患自体の内容がバラバラであると、出てくる結果もバラバラになってしまうので前に進まない、というわけです。
この「似た者同士」集めというのは、まさに医師が個人のレベルで日々臨床で研鑽を積んでいるものと同じ帰納的アプローチであり、集められる数が多ければ多いほど、疾患の質はより均一になっていきます。経験値が多いほど自分の中で培われた診断の精度が上がるものと同じです。まさにフラクタルですね。
帰納的アプローチにはもちろん限界があります。これをうまく例えた”An inductive turkey”(帰納的な七面鳥)というお話がありますのでご紹介しましょう;
この七面鳥は毎朝決まった時間に餌をもらえます。雨の日も風の日も毎日同じ時間同じ場所でもらえるので、七面鳥はこの先もずっともらえるものと確信していたところ、Thanksgiving(感謝祭)の日に餌をもらえず殺されてしまいました
これも、医師個人レベルでよく診療で経験するエピソードであります。これまでたくさん診てきた「うつ病」によく似たような症状をお持ちなのだけれど、どうも自分の中で培われた「うつ病らしさ」がないな…と。こういうケースに遭遇した場合は、「自分の経験値が少ない」のか、そもそも「例外的」なケースで特別な対策が必要なのか、あるいは全く違う疾患なのか、判別がその場ではつかないこともあります。あるいは「暫定的」にうつ病の診断を下し、その後何度か診ていく段階で診断が変更されていく、ということもあるのです。
人工知能で難病や稀な疾患の解明を
医師1人が一生をかけて診させていただくことのできる患者さんは有限ですが、これを人工知能が担うことによって、例えばその病院に勤務していらっしゃる医師全員の「うつ病」経験値が集約され、医師ひとりが感じている「うつ病らしさ」よりもはるかに均一性が上がっていきます。これは、先程述べた質の高い研究を通じた病因や治療法の解明につながっていくわけです。
「うつ病」を挙げたのは、筆者が精神科医ということと、みなさんがご存知の疾患だということであくまでも例としてなのですが、これが1人の医師が一生に一回程度しか逢うことのない非常に稀な疾患であればどうでしょう?
稀な疾患ほどその研究が進んでいない、という課題も人工知能による疾患の均一性や質の向上で、研究促進に寄与できることがおわかりいただけると思います。
我々が現段階の医療で想像つく世界は、あくまでも「現在の技術」で可能になっているものに過ぎません。技術はイノベーションという名のもとで日進月歩で改善・進化します。医療も同様です。私たちは医師として一生勉強することの意義はこうした技術的側面からも、そして「未来予測」をたのしく、有意義に行う側面からも有用と言えます。
かの有名なWilliam Oslerは、
Medicine is a science of uncertainty and an art of probability
(医学は不確実性の科学であり、確率のアートである)
と描写していますが、不確実性は疾患の均一性が、確率は疾患の正確性がそれぞれ人工知能によってもたらされることによって、医学全体の進歩につながるでしょう。
考えるだけでもワクワクします。