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「解離」のおはなし vol.2/3

はじめに

前回はストレスに対する反応としての解離を主に解説しました。解離は、とても広範囲な現象を含む概念です。多くの皆さんが経験したことのある健康なものから、生活に支障をきたすほどの症状のものまで存在しています。
今回は解離の具体的な例を挙げてその共通性を探ってみましょう

解離は3つのモードに分けられる

解離症状の具体的な例に移りましょう。解離によって意識を切り離すとどのような目的を達成することができるのか、大きく分けて

「セーブモード」
「役割分担モード」
「シャットダウンモード」

に分けることができます。

セーブモードはストレスからのインパクトを和らげる

セーブモードは、文字通りエネルギーの消費を節約することです。この場合、「意識」を意識のエリアから無意識のエリアに「離す」ことによってエネルギー消費を節約しようとします。これも解離の一種です。

「自我障害」のおはなしで説明したような、意識と無意識の層をもう一度思い返していただくと良いと思います。
普段は、無意識⇔意識⇔外界という、3つのエリア間の行き来については、あいだに挟まっている「意識」が音頭をとっているのでした。
そして、意識のエリアでは思考が行われ、無意識からの感情や欲などの処理と、外界からの刺激の授受を「意識」的にコントロールしているのでした。

この「コントロール」には、当たり前ですがエネルギーを必要とします。

例えば、毎日ルーチンで行っている作業や、長時間同じことをする作業については、よほどのことがない限り毎回毎回「意識的」にやる必要はないので、自動化することが意識のエリアから無意識のエリアへの移動によって行われています。

例を挙げましょう。入浴後の「全身タオル拭き」です。あなたは、毎回毎回意識的に「最初は髪を拭いて、次に右肩、左肩、そうだ、次は背中を拭くぞ」とやっているわけではないと思います。でも、きっと拭いていく順番は毎回同じはずです。今度入浴されたら、確かめてみるといいと思います。これはどういうことでしょうか?

タオル拭きという作業を最初は意識的にやっていたのがいつしか「無意識化」されたことを意味しています。
意識の無意化によりなされた記憶を「手続き記憶」といい、手続き記憶はある意味、手続き内容を意識のエリアから無意識のエリアに「解離」された記憶とも言えるかもしれません。(教科書的には、手続き記憶は「非宣言的記憶」あるいは「潜在記憶」というカテゴリーの中に含まれ、想起意識を伴わないことが特徴です。つまり、『ああして、こうして』と頭の中でブツブツ言語化して考えながら思い出す作業が伴わない記憶であるということです。)

この他、よく健全な範囲での解離としてよく例に挙げられるのは高速道路の運転です。ずっと同じようなスピードで停車がなく、長時間ほぼ同じ風景で運転を続けていると、ボーッと「心ここにあらず」の状態になっていることに気づくと思います。これもある種の解離です。「心ここにあらず」というのは意識ここにあらずという意味ですのでよく表現されたものです。

以上が、健康な解離です。いずれも毎回エネルギーを使う必要がないためショートカットすることでさらに効率を高めるような意味合いでなされているものです。

自己防衛目的のセーブモードが解離症状

さて、症状としての無意識化も「セーブモード」の解離として重要です。「症状」というのは非常に大きなストレスがかかっており、真っ向に勝負すると多大なエネルギーを浪費するため、うまくやりこなすために「セーブモード」にすることでストレスからのインパクトを和らげる目的があります。まさに自己防衛です。これがいわゆる「離人感」と呼ばれ、解離症状のひとつです。

離人感は現実感がなく、自分の身体が自分のものでないような感覚として認識されます。この間の意識はあまりハッキリとはしていませんので、気がついた時には自分の知らない所にいたり、自分の身に覚えのないものを買っていたりすることもあります。

解離性健忘」では、自分が意識的に関わった記憶(エピソード記憶といいます)が失われることがわかっており、解離によって意識のエリアに格納されていた記憶も失われた、ということになります。この場合、忘れてしまった内容は重大なストレスを経験している時の出来事であり、外に「解離」することでそのショックを和らげる自己防衛反応とみることができます。
なお、解離性健忘では、意識的に関わった記憶があまりにも甚大なため抜け落ちて自己防衛を図る手段ですので、無意識のエリアにある記憶、つまり先程のタオル拭きのような手続き記憶は障害されないことも特徴です。

また、エピソード記憶と同じ「宣言的記憶」あるいは「顕在記憶」のカテゴリーに入る、「意味記憶」は障害されないことが知られています。意味記憶は、一般的な物の概念などの知識的な記憶です。解離性健忘は「自分」が関わった記憶のみが失われるということになります。

この延長線上に「解離性遁走」が含まれます。解離性遁走は、意識だけでなく自分の身体もその場から「解離」させて、甚大なストレスから物理的にも遠く離れるという自己防衛反応と考えることができます。

甚大なストレスの分割緩和が役割分担モード

さて、ここまでは意識の解離(解離性健忘)、意識と身体の解離(解離性遁走)を説明してきましたが、いずれも甚大なストレスから離れるための手段であることがおわかりいただけたと思います。

では、仮に甚大なストレスから離れることができない環境下にあった場合、どのようなことが起きるのでしょうか?
皆さんは「甚大」ではないにせよ、避けて通れないストレスが生じた場合、どのような方策を取るでしょうか?

ここで出てくるのが「解離性同一症」です。
同一性というのは、自己同一性のことであり、まさにアイデンティティのことです。ストレスから逃げることのできない以上、真っ向から対立するしかありませんので、心と身体をまとめ上げている意識を分割することによって、圧倒的で甚大なストレスを分割して受け止めようとするわけです。

例えば100あるストレスを2つの意識が分割すれば、それぞれ50になりますね。それが多ければ多いほどひとつの意識の持ち分は減っていきます。こういった具合です。それぞれの意識は「人格」と表現されそれぞれ固有の役割を担うに至ります。これはそのストレスが甚大であればあるほど、分割の必要性が出てくることがわかると思います。

これを彷彿とさせる映画がディスニーで発売されています。
“Inside Out”(邦題はインサイドヘッド)です。

Disney©

この映画では各キャラクターが特定の感情を担当していますが、人間の感情の多彩さがこのキャラクターの多彩さを反映しているわけです。
解離性同一症では、ひとりの人間が抱える多様な感情を「人格」を介して他者に伝達しています。

Disney©

ではなぜこのような分割の方法を取るのか?

実際は先程述べたように、そうする以外に方法がないほど八方塞がりなトラウマ性ストレスだったからと推測するしかありません。これは想像を絶するほどの体験に違いありません。

事実、トラウマ性ストレスに対する反応というのは、その始まりに加えて「終わり」が海馬というところでしっかり認識されないと扁桃体からの警報は鳴り止まないことが知られています。
解離性同一症が選んだ「役割分担」という手段は、終わりの来ない持続的で甚大なストレスという極限状態下にあって逃げることができない状況をどうにかやりくりするために取られた最終防衛手段とも言えるかもしれません。このため、トラウマ性ストレスの観点から、解離性同一症は「複雑性PTSD(=慢性的持続的なトラウマを受け続けることによるPTSD」が背景に潜んでいることを視野に置くべきでしょう。

これは私たちが「キャラを演じて」世の中を渡り歩く、といった類のものとは全く質が異なります。なぜなら、キャラを演じる時、それはあなたが「意識的」にやっているからです。解離性同一症の場合、人格の交代は無意識のエリアから生じます。そしてその目的は「生命が脅かされているほどの状況で、心と体を食いつなげること」という人間として根本的な部分が破綻しかけている時にサバイバル術として生じるものなのです。

これを裏付けるように、解離性同一症の患者さんは、

「自分が知らない間に他の人格が勝手な行動をしているので、とても不安で疲れる」

という風に表現します。また人格交代時に顔つきや声等が変化することもあります。

一方、「自分勝手」な行動をとっていてもその人格にとっては、不安を解消したり、現状をやりこなすためにそのような対処方法をとっていると言えます。人格がたくさんあるということは、それだけ他の人格ができないような多様な対処行動ができることを意味します。また、それぞれの人格で記憶を分担して持っておくことによって、厳しい現実を知らずに生きることができる保護された人格も存在していることを意味しています。
ですので、重複にはなりますが、意識のエリアで演じているものとは異なり、そうするしか他に手段がなかったので人格や記憶を必要性により分割させているわけです。

これは、言い換えるとそれぞれの人格状態が抱えている課題や問題点を解決することができれば、人格や記憶を分離させておく必要性が無くなるということであり、この作業により少しずつ人格が「融合」されていくことになるのです。ですが、この「融合」には少なくとも年単位の地道な治療が必要になることが多く、それ故に解離性同一症は解離症状の最重症型とも言われています。

もっとも、どの患者さんにも入院して治療が必要なほどの行動障害(=反社会的なことや他害行為、危険な自傷行為を行うこと)が生じる人格を有しているわけではありませんので、社会的な尺度でみると、軽症から重症まで幅があるのは他の疾患と同じく解離性同一症でも同様でしょう。
解離性同一症と診断はされていて人格交代は見られるものの、どの人格になっても生活に著しい支障をきたすことが少ない、という方も当然いらっしゃるものと思われます。

身体症状に「翻訳」されるとシャットダウンモード

最後は、「シャットダウンモード」ですが、これは文字通り急激なストレスに対して意識消失をおこしたりけいれん発作のような発作的な症状を起こす表現方法として知られています。これらの症状は解離の一種としても説明できますが、現行の診断分類では「変換症」といって、ストレスが身体の症状に置き換わった状態と解釈されています。変換症の代表例は「身体症状症」です。これはストレスが高じると生活に支障をきたすほどのしびれや頭痛、めまいといっ身体症状に置き換わり、精神的なストレスを身体症状がアラートとして表現・翻訳する、というような疾患です。

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