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「自我障害」のおはなし vol.3/3

はじめに
前回まで、精神病症状と切っても切り離せない関係にある自我障害について、意識と無意識の2層構造を基に解説してきました。今回がこのシリーズの最終回になります。自我障害と精神病症状を織り交ぜてまとめて解説し、両者の理解を深めていきます。

妄想にはテーマがある

前回は、自我障害をさらに踏み込んで解説してきましたが、現実は、これまで説明してきたような順番で外界と意識のフィルター、そして意識と無意識のフィルターが段階的に破綻していくことはありません。2つのフィルターが同時多発的に破綻していき、最後はいずれの境もなくなってしまうという流れがより妥当でしょう。患者さんのことばをお借りするならば、幻聴や妄想だけでなく、「自分の考えが漏れている」「自分の一部がえぐり取られるような感覚」で、「家族であっても話すのが怖い」という方も多くいらっしゃいます。これらがエスカレートしていくと、「インターネットで自分の考えていることが勝手に共有されている」「命を狙われている」等に発展していくのは想像に難くありません。

さて、特に無意識に関する理解が加わったことによって、こういった妄想体験もある程度は本人の中に潜む優位な欲と関連している、と考えられるのは自然な流れだと思います。実際に、名誉欲の優位な方は、妄想の内容が「自分は神」とか「皇室の末裔」になりますし、食欲の優位な方は、コンビニで万引や無銭飲食につながってしまうこともありますし、性欲の優位な方は、異性の他人に「愛されている」となったりするわけです。病状の悪化に伴い、毎回同じテーマで妄想内容が発展していく方が多いのもこれで説明がつきます。これはあくまでも「仮説」であって、科学的に十分に証明されているものではありませんが、妄想にはテーマがあり、人それぞれ欲には優位なものがあると考えると興味深そうです。

妄想は自分を守ってくれている

もう一つの「仮説」として、妄想が本人の傷つきから守っているという捉え方があります。人間はそもそも、ストレスのかかった経験に対して、これ以上傷つくことを防ぐために様々な対策を備えています。これを自己防衛とか防衛機制と呼んでいます。

「自分は万能力を得た神なんだ」との妄想を形成することによって、あまりにも不可解でコントロールできない状況から自分が破綻するのを防いでいる、と考えることもできるでしょう。妄想の世界に入り込み、妄想の中で生活をすることによって、盲目的に生きることができる、という意味では、この妄想は本人にとっては恩恵をもたらしているのかもしれません。

しかし、残念ながら妄想の多くは、外界・他者へ働きかけることによって確証を得ようとしてしまう性質があり、外界・他者に対して迷惑行為だったり暴力や器物破損といった「他害行為」に結びつく例もあります。さらに、現実と折り合いをつけるために形成された妄想が、皮肉にも妄想が本人をコントロールするまでに発展することによって逆に現実と折り合いがつかなくなり、自分を傷つけようとする「自傷行為」に走ったりということも少なくありません。

ここまでの説明で非常に大事なことは、何か危機を感じたとき、それに対してどのような反応を示すかは、個々人で異なるという点です。
健康な精神活動を行っている読者の皆さんでも、ストレスがかかり危機的な状況を感じた時を想像してみてください。そこから即座に逃げ出す方もいれば、果敢に挑戦する方もいると思います。また、どうしていいかわからず、その場で泣き崩れてしまう方もいると思います。
自分の思い通りにならないことが続いたとき、あなたはどのような反応を示しますか?それがあなたの家族や友人ならどうでしょう?
十人十色であることは想像に難くないと思います。
このあたりは、妄想といった精神症状を抱えているからというよりもむしろ、これまで説明してきたような本人の無意識に潜むものとか、本来の性格とか、あるいは環境因子で言うと、発症してから周囲がサポートに回ってくれているのか、それとも本人の孤立を深めていくのか、といったことと関係しているのかもしれません。

いずれにしても、ストレスがかかった時に人間は悪い方向に考える傾向があるのは間違いないでしょう。これを心理学の世界ではnegativity bias:ネガティビティ バイアスと呼んでいます。これまで説明してきたようにネガティビティ バイアスは、自分を守るための自己防衛反応と言ってもいいかもしれません。しかし、このネガティビティ バイアスが皮肉にも修正がきかず了解の得られない妄想を固定化させるための潤滑油のようになってしまっているのです。

症状進行のスピードは、攻撃と守りのバランスで決まる

次に解説すべきポイントは時間軸すなわち、症状進行のスピードです。
これまでは、あたかも丸の形をした自我が、突然点線になって穴だらけになるような表現をしてきましたが、実際は、非常にゆっくりと、月単位で最初は進行していきます。
自我の境界線に穴が空くほどではなく傷がつく程度ならば、健康な精神活動を行っている方々も経験はしているはずです。人間は皆ストレスを受けて「傷つきながら」生活を営んでいるため、自我の境界線に傷がつくことはしょっちゅうあると考えてもいいかと思います。前回挙げた、当直明けの爆買いや爆食いはこれの好例でしょう。
では、なぜそのような状態でも多くの方は傷が広がるのを防ぎ、自我境界が穴ににはならずに済むのでしょうか?

これには2つあります。
1つ重要なのは睡眠です。睡眠は人間が毎日必ず行っている生命を営むために必要不可欠の活動の1つです。まだまだわかっていないことも多いのですが、睡眠は日々受ける自我境界の傷を修復していると考えることができます。「睡眠をとって疲れをとる」というのは、すなわちこの境界線の傷を修復している作業にほかなりません。

2つめは、精神病症状が出現する要因に、何らかの理由で境界線が非常に細くなっていたり、傷がつきやすかったり、また穴が空きやすい性質があるということです。その境界線のもろさ故に、周囲の環境からの刺激にそもそも影響されやすいということもあるかもしれません。先天的な要因もあれば、後天的な要因もあります。後天的な要因として有名なのは、覚醒剤やアルコールです。覚醒剤やアルコールは脳を萎縮させるというのは聞いたことがあるかもしれませんが、一定の割合で精神病症状が出現する方がいらっしゃいます。こうした物質が境界線をもろくさせ、幻覚や妄想を発症させています。コンクリートのような頑強な境界線が、何らかの要因で卵の殻のようにもろくなってしまっている可能性があるわけです。実際は、卵のようにすぐに割れることはなく、金魚すくいのように最初の何匹かはすくえるけれど、徐々にフィルターとしては弱ってくる強度を持っているとイメージされると良いかもしれません。

その強度で、あたかもダムの決壊のようにいったん水が漏れるとその後は急速に症状が展開していきます。自我障害は、丸の輪郭の点線のようにはっきりと自分の境界線に穴が開くまではある程度時間がかかることが知られています。これは、発症当初は睡眠が比較的まだ保たれていたり、おそらく疲れやすさを自認してそもそもストレスから遠ざかる生活を送り、休養に努めているからなのかもしれません。あるいは周囲が保護的な環境であれば、支えてくれる家族や理解のある友人らに助けられて、やはりストレスの軽減につながっているから、傷がつくスピードを遅らせることができているとも考えることができます。

重要な点は、自我境界というダムの決壊が始まると、週単位、日単位とどんどんと悪化のスピードが早まっていくということです。この段階でようやく第三者からも気づくようなつじつまの合わない言動が目立って来るようになりますが、本人にはその異変を感じにくい特徴があり、さらに症状は進行していくのです。
もうお気づきでしょうが、この段階では確実に数日以上の不眠が続いているはずです。人によってはオールナイトで1週間という方もいらっしゃいます。本人にとってはそれだけ極限状態を強いられるのと同時に、不眠が自我境界の修復をさらに遅らせ、外からの刺激による傷つきのスピードの方が圧倒的に境界線の修復のスピードを上回って自我境界への破綻が急速に進行していくのです。この傷つきのスピードが攻撃を受ける速さであり、修復のスピードが守りを固める速さに相当します。自我境界の破綻は攻撃力を高めてしまい、守備力を低めてしまうのです。

逆に言うと、こうなる前にしっかりと保護的な環境で療養をしたり睡眠を強化することができれば、守りのスピードを速めることができますので、境界線を修復することも可能になります。睡眠という生理的な自助力だけでは追いつかない場合は、境界線を補強するようなお薬も現在は様々な種類ありますので、こうした薬を用いて本人が安心できる生活を再び取り戻す、ということが大事になってきます。

精神病症状や自我障害は、大変に恐怖を伴う体験で不安を強いられますが、症状のまだ軽いうちは、本人もそれを症状として認知しておらず、また仮に認知していても、「気が狂っていると思われるかもしれない」との不安から、周囲に症状を告白することをためらう傾向があります。こうした様々な偏見や苦悩がさらに症状を悪化させ、結局本人の意志がきかなくなり、切迫した状況を生み出してしまうというのは、非常に痛ましい事実です。
上記に連動して、精神病症状が軽症のうちにメンタルクリニックにいらっしゃる方はほとんどいらっしゃいません。症状が進行してから入院も視野に入れた治療ということで来院される中等症ないしは重症の方が多くを占めます。
こうなると、メンタルクリニックは軽症の方の予防や治療をメインにしていますので、いつ悪化しても入院が可能となるように最初から入院ベッドのある精神科病院の外来へ初診される方が典型的なケースとなっています。

精神病症状の解明や根治の発見というのは精神医学における非常に重要なテーマのひとつです。

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