前回は、統合失調症のさまざまな症状分類についておさらいし、統合失調症は「思路」の障害が本質的に重要なポイントであることを説明しました。今回は思路障害について具体的な説明を施すことで、精神病症状が思路障害によって発展していく流れを理解いただければと思います。また、その背景には改めて「自我障害」が顕在化していることも重要です。
自我障害を背景に思路障害となる
「自我障害」のおはなしで出てきた自我境界(下図)のように、自我障害が顕著になると、外からの刺激がすべて自分の中に入ってきますので、些細な物音や僅かな動きもはねのけることができなくなります。
また、自分の中に入ってくるために、自分事としてキャッチされます。「自分の中」とはすなわち、自分の(脳)の中に刺激信号としてキャッチされますので、自分の五感にキャッチされることとなります。
健康な精神活動では、自分に必要のない刺激や自分に関係のない刺激は意識的にでも無意識的にでもはねのけることができていますが、これらがすべて自分の事として脳に処理されるようになるわけです。
自分が見るもの聞くものにかかわらず、ただそこにいるだけで否が応でもすべての刺激が入ってくるということは、本人にとって大変な不安感や、ただならない危機感を抱くきっかけとなっていることに思いを馳せることはこれで容易だと思います。
この初期の段階を
「なんとなく周囲が不安に感じる」
「漠然と、すごく怖い」
といった内容でおっしゃられる患者さんは多くいらっしゃいます。これを専門的には「妄想気分」と言います。「妄想」と付いていますが、厳密には妄想の前段階である「念慮」のさらに前段階という風に考えていいと思います。いわゆる妄想になるまでの一番初期の姿と言えるでしょう。
発症は陰性症状から
こうした不安や恐怖の日々は、それだけ脳を酷使することになりますので、非常に疲れやすく、そのために元気がなくなって不安を感じやすくなったり、気分を維持することができずに落ち込んだり、エネルギー切れを起こして外に出ることがおっくうとなり、引きこもりのような状態になったりすることもあります。
この延長線上で死にたくなってしまう方も出てきます。
統合失調症の初期の段階では、前回述べてきたような陽性症状がまだ完成しておらず、むしろ今述べたような本人の普段の水準から差し引かれてしまったマイナス方向の症状(=陰性症状)から発症すると言われています。
お気づきかもしれませんが、上記の症状はうつの症状と類似しています。しかし、この時点での状態では、そもそも目に見えない症状であることと、陰性症状自体が目立たない症状であるために、周囲からは「元気がないな」「いつもより活気がないな」「凹んでるな」ぐらいにしか捉えられず、そのまま様子をみられて経過することが多いようです。
もっとも、仮に精神科に受診することとなっても、「(軽度の)うつ病」等の診断で様子を見られることも多いのです。
陰性症状から発症する統合失調症が、最初のこの時期に気づかれにくいのはこうした背景があります。
自我障害の進行により陽性症状が台頭
その後、自我障害が極めて顕著となってくると、雑音や耳鳴りとしかキャッチされていなかった内向きの刺激もやがて「幻聴」として成立するまでに本人にとって自分事として成立するようになり、意味をなしてくるようになります。
また、刺激がすべて自分事としてキャッチされることそのものが不可解ですので、その理解を求めるために様々な解釈をし始めます。不安が常に伴いますので、その解釈についてもほとんど常に自分にとってネガティブで悲観的かつ被害的な内容になってしまうのは想像に難くないと思います。
「電波が自分に攻撃しているんだ」
「あの人達は私の噂をしている」
「このままでは世界が終わってしまう」
といった妄想が徐々に形成されていきます。
また、自我障害では意志の発動といったアウトプットも自分でコントロールすることができなくなってきます。このため、
「自分の考えていることがえぐり取られている」
「自分の持っている情報が周りに知られてしまう」
となり、さらに
「フェイスブックで全世界にリークされている」
「盗聴、監視されている」
となります。恐怖のあまり、盗聴器を探すために自宅の壁を掘ったり、「上の階のやつがやっているにちがいない」と自室の天井に穴を開けたりとしてしまう方もいます。
さらに陽性症状が本人を蝕むようになってくると、症状によって本人がコントロールされるようになり、アウトプットが乱れて思考のまとまりがなくなっていき、連合弛緩から滅裂へ、インプットが乱れて念慮から妄想へと発展していきます。
幻覚妄想が精神病症状の主要素であることはご存知のとおりではあると思いますが、いきなりこうした症状が出てくるわけではなく、患者さんの孤立した極限体験下での思考プロセスがあって徐々に形成されて行くのです。
このことは、患者さん自身が恐怖や不安から自分を守るために、こうした症状を「つくらざるを得なかった」と表現しても過言ではないかもしれません。
これを裏付ける患者さんの言葉に、「(具合が悪かったときは)二重の世界があった」「現実の世界と並行してもうひとつの世界があって、具体が悪くなると引っ張られてしまう」とおっしゃる方が多くいらっしゃいます。スターウォーズをご存知の患者さんからは「ダークサイドに引き込まれてしまいました」とおっしゃったりもします。
この「もう一つの世界」こそが、患者さんが極限体験において「つくらざるを得なかった」世界であり、その世界が現実よりも優位になったときに、陽性症状が完成してしまう、ということが言えるのではないかと思います。ただし、患者さんにとってはここまでの全てが「させられ」体験ですので、やはり「引っ張られた」とか「引き込まれた」といった受動態で表現されます。
想像がつくと思いますが、家族は患者さんが自室でよく「独語」をしている光景をよく耳にすることになります。現実の世界に生きている家族にとっては、「全く意味不明」の言葉をブツブツ話している、とおっしゃいますが、これはすでに患者さんが「もうひとつの世界」に引き込まれてしまっている何よりの証拠です。
さて、陽性症状が周囲からも目立ってくる状態になると、夜もおちおち寝られるような状況ではなくなるのは想像できると思います。自分が寝てしまったら、その間にまた大変なことが進行してしまい、自我境界の点線すらなくなって「自分」がなくなってしまう(と考えざるを得ない)のですから。
この時点で患者さんの交感神経や体全体の警報は24時間鳴りっぱなしの状態が続き、多くの方は不眠を呈するようになります。陽性症状がピークを迎え、いよいよ自身だけでは自分の身の安全を確保できないほどになると、数日から1週間全く寝られない方も出てきます。まさに戦争中の兵士の如くです。いや、それ以上かもしれません。
精神病症状に対抗する「戦略」は人それぞれ
ここまでの説明で非常に大事なことは、何か危機を感じたとき、それに対してどのような反応を示すかは、個々人で異なるという点です。
健康な精神活動を行っている方でも、危機的な状況を感じたとき、逃げ出す方もいれば、果敢に挑戦する方もいれば、その場で泣き崩れてしまう方もいると思います。
自分の思い通りにならないことが続いたとき、あなたはどのような反応を示しますか?それがあなたの友人ならどうでしょう?
十人十色であることは想像に難くないと思います。この辺は、精神疾患だから、というよりはその人の病前性格や発症時に周囲の環境が保護的なのか侵襲的なのか、といったこともあるのかもしれません。
いずれも、それらの反応は大きく分けて、自分に向かうか、自分以外(=他者)に向かうかに2別できます。
自分に向かう場合は、(自分が)逃げ出してしまったり、泣き崩れてしまったり、といった行動を含み、この延長線上に極端な例として自殺を試みられる方も稀ながらいらっしゃいます。
自分以外に向かう場合は、(他者に)怒鳴りつけたり、攻撃的になったり、といった行動を含み、この延長線上に極端な例として他殺が試みられる方も稀ながらいらっしゃいます。
なお、医療従事者としては、「他殺」に対しては法令的にも対策的にも様々な防止方法がありますが、「自殺」に対しては相対的に対策の施しようが少ないため、特に注意しなくてはいけません。メンタルヘルスの医療従事者にとって最もインパクトの強い事例が患者さんの自殺であり、特に統合失調症の患者さんの自殺は、行動予測の立ちにくいなかで生じることが知られています。
また、「行動予測」に関連して、過去に精神病症状に対して自分に向かう傾向がある方は再発や再燃時のエピソードでも同じような「戦略」を講じる可能性が高いですし、もう片方も然りです。これは、行動予測を立てる上でも過去のエピソードが参考になることはうなずけると思います。
さらに、これらの理解があれば「統合失調症の患者は殺人や傷害事件を犯す」といった偏見を正しい理解で一蹴することができると思います。当たり前ですが、世の中にいろんな人達がいるように、患者さんにもいろんな患者さんがいます。全員がそのような極端な「戦略」を講じるわけでは決してないのは、世の中の人々と同等に変わらないということもおわかりいただけるのではないかと思います。