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患者語と医師語と「カンガルー」vol.3/3

はじめに

前回までにシニフィエとシニフィアンがいずれも相互で変化しうることを事例を挙げながら説明しました。もうひとつ、英語での事例を挙げ、医療におけるミスコミュニケーション:患者語と医師語についてまとめてみました。

シニフィエの七変化

“I don’t know”

前回は日本語で「どうも」をシニフィエの七変化の例に挙げましたが、英語にも似たような例があります。

アメリカの高校では、卒業間際のシーズンに、「プロム」(=promenade舞踏会の略)という催しが一大イベントとして行われています。男子はタキシード、女子はドレスで参加するフォーマルなダンスパーティーです。

ニューヨーク州のN高校に通っていたY君は、プロムにクラスメイトのJさんを誘おうとしたところ、こんなやりとりがありました。

Y君
Y君

Will you go to prom with me?

Jさん
Jさん

“I dont know…”

超ポジティブなY君は、「そうか、Jさんは自分のスケジュールが今まだわかっていないから”I don’t know”って言ってくれてるんだな」と解釈し、「また明日ね、それまでに返事をくれるとうれしいな!」と陽気に返してその場をあとにしました。

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恥ずかしながら、これは筆者がAFSという高校留学団体を通じてアメリカの公立高校に通っていた時の甘酢っぱ苦い経験であります。
このやりとりのあと、筆者は『”I don’t know”が相手の誘いを間接的に断る目的で使うことがある』という解説を辞書で目にし、落胆することになります。同時に、この時初めて「身をもって英語を学んだな」と実感して妙に腑に落ちたのを覚えています。

長くなりましたが、こういった、シニフィアンを使いながらシニフィエを共有したり習得するということは、実は子供が幼少期から単語だけではなく文脈(いわゆるコンテクスト)全体で言語を習得するプロセスでもあります。

文脈まで理解する医療

医師語、患者語という本題に戻ります。

患者さんは、何らかの異変を体や心に感じ、さまざまな葛藤やプロセスを経て医療機関を受診されます。
それが「症状」として認定され、治療の対象たるか判断されるまでには、患者さんが想定しているシニフィエを「患者語」というシニフィアンで医師に伝え、医師は「患者語」を「医師語」という別のシニフィアンに変換します。

さらにその医師語が症状として成立するか、「診断アルゴリズム」という医師独自のシニフィアンで吟味する、という一連のプロセスが存在します。

患者さんによっては、とてもつもなく長く感じられる道のりです。医師の診察に至るまでにも、いかに長いプロセスを経るかということを示すために下の図を用意してみました。

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なお、便宜上「医師語」とあたかも医師が一人で行っている作業のように書いてしまいましたが、当然ですが患者さんに関わるすべての医療従事者がここに含まれています。「患者語」も同様に家族や友人なども含まれうるでしょう。

職種や関わる人が増えれば増えるほどそれだけ様々な考え方、表現方法が出現しますので、これらを通じてまた患者さんが想定しているシニフィエを極力損なわずに医師へ伝わるにはどう表現したらよいか?また、医師側は患者さんの「真のシニフィエ」にどうしたら近づけるか、ということが、日々医療の現場で行われているといってもいいでしょう。

アナログとデジタルのはざまで

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デジタル技術の発展とともに、我々はアナログをデジタルに置き換えるという変遷を推進してきました。生の音楽から始まり、LPレコード、カセットテープ、CD、DVD、ブルーレイといった流れも然り、また、歴史的には自然現象を自然科学で理解することや、言語による伝承を「記録」することで後世に伝えるようにしたこと、そして、(架空の)「物語」を通じてあたかも誰もが同じ経験をしたかのように想像力を働かせ、連帯感をもち、再現性をもたせたことなどです。医学の分野で代表的なのはいわゆる「遺伝」がDNAを単位としたデジタルに変遷したことでしょう。デジタルの浸透力は目を見張るものがあります。

一方で、アナログにはアナログの良さがある、といったセリフがどこかしこで聞こえてきますが、これも確かに納得がいきます。我々はデジタルを推進すると同時に、アナログを0と1に置き換えることにより自ずと何かを喪失する体験もしているからではないでしょうか?それはコミュニケーションも同様です。対面の良さとオンラインの利便性の間になにか大きな失われたピースがあることを感じずにはいられません。

このようにどうしてもアナログとデジタルの間には二項対立のような関係が生じてしまいがちです。この背景には、文字通り二項関係をそもそも起点としているからです。

では、アナログとデジタル、0と1といった二項関係から離れてみるとどうなるでしょうか?

人工知能のおもしろさ

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人工知能の興味深いところは、この0と1のはざまをデジタルで表現しているところにあります。人間の頭では割り切れないグレーゾーンを、白黒で表現してくれる、と表現すればいいでしょうか。

歴史的には、量子力学やポスト構造主義、さらには仏教用語に出てくる「中道」といった概念がすでに二項関係から脱することを実践しており、人工知能も、決して未来的な真新しいことをしているわけではありません。

しかし、人間の想像力や判断力を超え、なんとも頭がこんがらがりがちなことをやってくれているからこそ、人工知能の判断は絶対に見えてしまうリスクもはらんでいます。

ところが、人工知能はあくまでも人間の判断をアシストするに過ぎません。特に医療においては今後も医師が最終的な診断を下し、治療内容を患者さんと相談しながら決定していくshared decision makingの考え方は変わりません。

一方で、医療ほど0と1で割り切れない状況がたくさん存在している世界はないのではないでしょうか。そこに、強力なアシスタントとして人工知能が存在してくれることにより、現状を変革させる大きな期待が込められているのです。

今後、デジタルがどのように医療を変革させていくのか、これを当事者として筆者も見守って行きたいと思っています。

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