【NEW】医師国家試験 精神科過去問解説しました!→【国試過去問】

患者語と医師語と「カンガルー」vol.1/3

はじめに

COVID-19が社会を席巻し、いわゆるソーシャル・ディスタンスが日常化した今、医療業界でも遠隔診療やICTを用いた「コミュニケーション」に関して深く考えさせられる日々です。

メンタルヘルスと人工知能については、別の記事で書かせていただきましたが、今回は医学的な見地から離れ、少し「コミュニケーション」についての論考をまとめた記事にしたいと思い、タイトルを上のようにしてみました。

カンガルーにまつわる逸話

イギリス人のジェームズ・クック船長が1770年にオーストラリアに上陸した時、彼はピョンピョン飛び跳ねる動物を生まれてはじめて目にし、現地の先住民(アボリジナル)とこんなやりとりをしたそう。

クック船長
クック船長

あの動物は何と呼ぶのですか?

アボリジナル
アボリジナル

カンガルー」

以来、その動物はカンガルーと命名された、とのこと。


この話には続きがあり、実は現地語の「カンガルー」は「知らない、わからない」という意味で使っていて、アボリジナルはクック船長の質問に対してただ「わからない」と答えていただけであった、というオチがあります。

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今では実はこの逸話はフィクションであり、「カンガルー」は現地語でもその動物のことを指していることが判明しているようですが、こういった「ミスコミュニケーション(=齟齬)」はなんだか現実にもたくさんありそうで、面白みがあります。

本記事は、医療業界の「先住民」である医師の現地語(=医師語)とそれを解釈しようとする「クック船長」ならぬ患者さん(=患者語)の間でも同様のことが起こりえるのでは?というのを、言語学的見地を交えて書いていきます。

 文脈によって解釈は七変化する

上記の逸話は何が原因で「オチ」が生じてしまったのでしょうか?
そうです、「文脈」の違いです。

文脈というのは、クック船長自身の思考背景の結果発せられる「あの動物は何だ?」という質問、それからアボリジナルの思考背景から発せられる「わからない」という答えに隔たりがあったことを指しています。
詳しくみてみましょう。

好奇心からその名前を知りたかった

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クック船長にとっては、生まれてはじめて見る「飛び跳ねる動物」に驚き、もっと深くその動物を知りたいと考えたのかもしれません。その延長線上で、「先住民なら、この動物のことをよく知っているはずだ、名前を聞いてみよう」と考えるに至り、「あの動物は何だ?」と尋ねたのでしょう。ここまでは容易に推測できます。

さらに、クック船長は、先住民に質問を投げかけた時点で「自分がこの質問をしたのだから、当然彼らは動物の名前を返答するに違いない」という暗黙の了解のようなものもあったかと思います。
(ちなみに、心理学的にはこういった前提思考なるものをshould-thoughtsとかmust-thoughtsと称しています)

不審者がいる!?

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他方、アボリジナルの心境に思いを馳せてみましょう。
見知らぬ土地からやってきたクック船長に対して、アボリジナルは恐怖や不審感を抱いていたのかもしれません。その延長線上で「あの動物は何だ?」という質問には何か裏があると感じて、余計な情報を与えまいと「知らない」と答えたのかもしれません。

他の可能性を考えてみましょう。
単純にクック船長が英語で質問をしたものだから、言葉が全くわからなくて「(あなたの言っていることが)わかりません」だった可能性もあります。

別の可能性としては、彼らが「身の回りのモノに命名する」文化がなかったとします(あくまでも仮定です)。そうすると、普段カンガルーを目にしているアボリジナルにとっては命名するほどの珍しさや特別さはないので、「(名前?そうか、考えたこともなかったな)わからないよ」という流れだったのかもしれません。

こうした、両者がそれぞれで対象について考えていることそのものが文脈であり、コミュニケーションはこの双方の文脈が一致していることが大前提となります。

シニフィエとシニフィアン

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上記のようなシチュエーションを明確にわかりやすく構造化したのが、スイスの言語学者であるFerdinand de Saussure(フェルディナン・ド・ソシュール)です。

ソシュールは、カンガルーの逸話で言う、「ピョンピョン飛び跳ねる動物」という対象の事物をシニフィエ(signifié)、「カンガルー」という対象を説明する言葉をシニフィアン(signifiant)と命名しました。

シニフィエとシニフィアンはフランス語ですが、それぞれ英語でいうところの-ee(-されるもの)/-er(-するもの)の関係にあり、例えばtrainee(トレーニングを受ける人)とtrainer(トレーナー:トレーニングを教える人)とか、employee(雇われ従業員)とemployer(雇用主)といった表現方法と同じ関係です。

シニフィエとシニフィアン

表現しようとする対象=シニフィエ

表現するための道具=シニフィアン

その上でソシュールは、

  • シニフィエとシニフィアンとの関係は絶対的なものではなく、同じシニフィエに対してたくさんのシニフィアンがある(=多言語、多文化)
  • シニフィアンが同じでも文脈や状況でシニフィエは七変化しうる(=その時の関係性や文脈から対象が(再)定義されうる)

ということを提唱しました。

4つのコミュニケーション

カンガルーのお話は、シニフィエとシニフィアンが必ずしも1対1対応にならないことをうまく説明しています。
これについては、下記のようなマトリックスで考えるとわかりやすいと思います。横軸がシニフィアン(表現方法としての道具)、縦軸がシニフィエ(想定している対象)で、それぞれ右に、上に行くほど一致している度合いが高くなります。

シニフィエ

次に、上図①から④をそれぞれ順に解説していきます。

>シニフィエとシニフィアンは一致しない!?(次回に続く)

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